脳性麻樟で生まれたRちゃんのこと-医療過誤-
弁護士 南野雄二
ポイント
1、Rちゃんの出産
Aさん夫婦は、初めての子を、地域で人気の産婦人科の病院で生むことにしました。予定日は、一二月二八日でした。一二月に入って、Aさんは、医師から「胎児の体重から見て、もう生れても大丈夫、早く生れた方がいいですか」と聞かれ、ためらいもなく「はい」と答えました。二五○○グラムでした。一二月八日、Aさんは、お昼前から陣痛促進剤を投与され、続けて点滴を一受けました。夕方、陣痛の間隔が短くなる中で、胎児の心拍数が乱高下し、明らかに異常な中でRちゃんは生まれました。仮死状態でした。大きな病院に転送されましたが、脳性麻津の障害が残りました。
2、両親からのご相談
私がAさん夫婦から相談を一受けたのは、Rちゃんが一歳半になったときでした。それはかわいい女の子です。しかし、立つことはおろか、ハイハイもできません。Aさんの記憶に基づいて文献を調べたり、知り合いの医師に相談するなかで、これは医療ミスだと確信しました。
3、証拠保全
私は、Rちゃんの出産のカルテ等の記録を保全するために裁判所に「証拠保全の申立」を行いました。入手したカルテには、陣痛促進剤を投与した時刻、分量が記載されています。陣痛促進剤は、使い方を誤ると母子ともに危険な薬です。効能書きにも与える分量と時間をあけることを厳守するように書かれています。Rちゃんの件では、医師は看護婦まかせで、看護婦は決められた分量をはるかに超えて陣痛促進剤を投与していました。その結果、赤ちゃんが子宮の中で圧迫され、脳性麻淳を起こしたことがわかりました。
4、和解
病院と交渉しましたが埒があかず、裁判を起こして和解で賠償を受けました。しかし、Rちゃんの障害が治るわけではありません。
5、医療ミスの急増
名の通った大学病院や、国公立の病院でも、医療ミスによって患者が死亡したとか、植物人間になった、との報道が急増しています。
そのような中で裁判所にも変化が出てきました。従来、医療過誤裁判は、通常の裁判に比べて、原告側の勝訴率の低さが指摘されていました。しかし、亡くなったのは本人の素因に問題があったとか、不運だったとの医療機関側の不遜な弁解は裁判所でだんだんと通用しなくなってきています。大きな裁判所では、集中審理係を作って医療過誤事件に通じた裁判官を配置するように変わってきました。医療が聖域でなくなってきました。
6、警鐘としての医療過誤裁判
先端医療が発達して、これまで助からなかった人が助かる時代になってきました。患者や遺族は、医師が誠心誠意尽くしても、手術が常に成功するわけではないことは知っています。医師から死亡や重度障害にいたった経過がきっちりと説明され、疑問に対しても丁寧に説明をされると納得します。それが当たり前の世の中になれば、お粗末な医療ミスが減ることは間違いないと思います。医療過誤の相談をお聞きし、交渉や裁判で原因を突き止め、賠償をさせることが、医療機関側への警鐘となり、医療過誤で泣く人を減らすことになると思います。